仁平尚人のプロフィール

プロフィール

どーも。仁平(@niheihisato)です。

プロフィールを書きました。

簡単な経歴としては・・・

1994年6月東京生まれ東京育ち。

3歳:保育園でイジメられ、強くなりたいと思い武術を始める。

9歳:武術の師匠と出会い衝撃を受け入門する。

13歳:武術の仕合で相手を半身不随にさせる。

14歳:猛勉強の末、半身不随にした相手を改善させて医療の世界を志す。

18歳:武術の師範代となり『体道塾』を発足し、オリジナルの療術『三元療術』を創始する。

20歳:師範となり体道塾の事務所を設立。

21歳:柔道整復師の国家試験に合格。

22歳:三元療術から『RET(Repulsion Energy Technique)-HIMIZU(火水)』に名称を変更。

23歳:独立開業し現在に至る。

我ながら「色々あったなぁ・・・」と思いますね。

そんな人生をもう少し深掘りして振り返ってみます。

 

幼少期~小学時代

僕は保育園の時にイジメにあってました。

保育園の先生が親に「やり返しても良いと思いますよ?」

…と言うくらいだったので、そんだけ酷かったということです。

 

性格が優しすぎる

相手を優先してしまう

自分の意見が中々言えない…etc

小さい頃ながらも先生が親に言っていたことは今でも覚えているし、特に僕をイジメていたのはA君という子もしっかりと覚えています。

そんな幼少期だったからか「自分の身は自分で守らないとダメだ」と漠然と感じていましたね。

祖父が見ていた時代劇(特に水戸黄門)を一緒に見ていましたが、相手をバッタバッタと倒していく様に「いいなあ、かっこいいなあ、すごいなあ」と憧れを抱いてました。

 

イジメの克服

そしてイジメられる日々が続く僕に転機が訪れます。

転入してきた子がいたのですが、その子のお兄ちゃんが『タイ捨流』という熊本に古くから伝わる武術を習っていたそうでイジメられていた僕に毎日少しずつ教えてくれたんです。

「おお、これで僕もイジメられなくなるのかな、大丈夫かな」なんて考えながら稽古を続けていたある日、いつもの様にイジメてきたA君に対し遂に堪忍袋の尾が切れた。

 

「うるせー!この〇〇やろー!」と初めて反発したんです。

それがよほど驚いたのかA君は泣き出してしまい、先生のところへまっしぐら。

A君を慰めながら僕にサムズアップした先生の姿を僕は忘れません。

この時から僕は「もっと強くなりたい」という気持ちが強くなり武術の修行に明け暮れました。

 

大きな縁

イジメを克服して小学生に上がり武術を教えてくれる人もいなくなってしまったので、僕は何かしらの武術・武道をやりたいと両親にねだりました。

時代劇に大きな影響を受けていた感受性豊かな僕は剣道がやりたかったのですが、当時?は3年生まで入門できないという決まりがあったので「そんなに待てない!」と空手を始めました。

助さん・格さんも素手で戦ってたし稽古前の準備体操が楽しかったからという理由です。

 

そして3年生になった僕は空手と並行して剣道もやりたいなー?なんて考えていたのですが、友人と公園で遊んでいたらとある人物と出会います。

これで僕の人生の方向性が決まりました、間違いなく。

その人物こそ友人の祖父であり僕の大師匠『坂元 銀次郎』です。

 

師匠との衝撃の出会い

 

公園で遊んでいた友人と僕。

師匠は「孫の友達か、面白いもん見せてやろう」と言い、ゴミ置場のゴミを漁りだしました。

 

ゴミ置場からフライパンと菜箸一本を持ってきた師匠。

フライパンを木に立て掛け15メートル程距離をとって菜箸を持った右手を一振り。

「コッ」という音がフライパンから微かに聞こえたなー?なんて思って見てみると何とまあビックリ。

 

菜箸がフライパンを貫通しているんです。

 

ビックら仰天した僕はフライパンをよく見てみましたが、何てことない唯のフライパンに菜箸が深々と突き刺さってるんです。「この人は人間じゃない」と思いましたよ。

そして菜箸を抜いてみようにもビクともしない。

益々意味が分からない状態でしたが師匠はいとも簡単にスルッと抜くではありませんか。

その場で「教えてください」って弟子入り志願しました。

 

弟子になる為に

古い武術(特に中国の武術)は習うにしても色々段階・順序というモノがありまして、正式な弟子となる前に『学生』という立場になります。そこで弟子として相応しいか適正を見るんですね。

根性も無いヘッポコを弟子にしたら恥かくのは師匠とその流派なので、先ず第一段階のふるい分けが『学生』という訳です。

学生という期間…アレは地獄でした。

 

自分で自分を褒めてあげたいレベルの大変な稽古ばかりでホントに血反吐・血尿なんて当たり前な稽古を行い、終わったら医術の勉強(師匠の施術見てるだけ)してましたけど、当時は医術なんて興味無いですからね。

でも怒られると怖いので猛烈な眠気と戦いながら嫌々勉強してました。

そうして修行漬けの3年間が過ぎ、遂に弟子となる時が来たのです。

 

初めての幽体離脱

学生時代の頑張りが認められ12歳で弟子として正式に迎えられました。

厳かな雰囲気の中で式が進み最後に師匠から一言頂いたのですが「武術をやる者は生きている内に一回死なないとダメだ」と言われ、意味が理解できない内に僕の心臓を一突きしたんです。

 

皆さん直ぐに理解できますか?

『生きてる内に一回死ななきゃダメ』ってどーゆーこと?ってなりません?

でも、師匠はそんな僕をお構いなしに心臓ドン。

 

この時初めて幽体離脱を経験しましたがホントに死ぬかと思いましたね。

そりゃそうですよね、幽体が離脱しちゃってるんですもんね。

因みに師匠は幽体離脱中の僕を下からから見上げてました。

 

中学時代

ただ「強くなりたい」という漠然とした思いで強くなる為には稽古しなければダメだ!と、とにかく打ち込んでいた毎日。

稽古中に事故を起こしてしまいました(相手に大怪我をさせてしまった)。

元々は故意に傷つけてしまったのですが冷静になってみた時にふと考えてしまったんです。

 

「自分はヒトを傷つける為に武術やってたのか?」

「負けない為にやってたのに勝つ為の武術になってないか?」

「ヒトを傷つけるコトを嬉々として修行している自分っておかしいのではないか?」

 

この様な自問自答が頭の中でぐるぐる繰り返されて頭がパンクし、バカみたいに打ち込んでいた武術に嫌気が差し離れてしまいました。そして暫く経ったある日。

師匠が変わらず施術をしていたので何となく眺めていると、「先生凄いですねえ、何でこんな事(特殊な鍼治療)ができるんですか?」という患者さんの声に対し一言。

「人を殺せるから活かせるんです。逆をやればいいんです。」

こう言ったんです。

師匠のこの一言に僕は大きな衝撃を受けました。

 

治療を本格的に勉強し始める

その場で頭を下げ医術を真剣に取り組み勉強する事に。

約1年の猛勉強で知識も技術もつけた僕は大怪我をさせてしまった相手に頼み込み、施術を受けてもらうチャンスを貰いました。

そして見事に完治させ、14歳の冬から多くの人を相手に施術し始めて現在に至ります。

 

あの時の事故とその後の結果が無ければ僕は治療家になっていません。

治療を始めたキッカケはどうであれ、彼(相手)には感謝しています。

 

武術修行に復帰

相手の怪我を治したその日に武術修行にも復帰しました。

自分の中で踏ん切りがついたんですね、治せたその時にようやく。

 

久しぶりの道場でワクワクしているのもつかの間。

「常に周囲に意識を張っていろ」と早々に師匠に言われました。

直感的に「あ、これヤられるパターンのやつだ、気をつけなきゃ」って言われた通り意識してたんです。

稽古中は問題無かったんですが、稽古が終わって気が抜けた瞬間に後ろから木刀で殴られて2回目の幽体離脱を経験しました。

『油断大敵』という教訓になった大変良い思い出です。

 

長野先生との出会い

坂元師匠のスタンスが「様々な流派を学べ」というモノだったのですが、色々顔出しては違う…これも違う…と自分に響かない事が多かったです。

そんなある日、地元の大きなショッピングモールに入っている書店に立ち寄り目に付いた本を手に取りました。

その本こそが長野先生と僕を繋げた『もっと知りたい武術の極意』

他の流派の先生方が言語化できていない(理解まで至っていない)事を明確に分かり易く文章に纏めている…!しかも著者近影の写真がパフェ食べてる写真だ素敵すぎると大きな衝撃を受け、シリーズ本を読破。

居ても立っても居られず実際にセミナーに伺わせて頂き、「これだ!」と確信して2009年の10月に游心流武術健身法に入門させて頂きました。

 

高校時代

将来治療家になる為の勉強ができる高校に行きたいと、親の反対を押し切り普通学科ではなく自分で授業を選択できる総合学科の高校に行きました。

そこで出会った友人達は将来〇〇をやりたい!という明確な目標がある子が多く、皆んな大体変わり者で凄く刺激を受けましたね。

 

そんな充実した高校生活を過ごしていた1年生のある日、結構な間稽古をサボっていた僕は坂元師匠に呼び出される。

振り向き様で開口一番「霊的に死んでみろ」と言われ、特殊な術により死にかけ3回目の幽体離脱を経験。

青春は終わったと思いました。

 

坂元先生との別れ

翌年、坂元師匠が逝去。ポックリ逝っちゃったんで実感が湧きませんでした。

まだまだ教わりたい事が沢山ありましたが、亡くなる直前に「全部教えた」と言われたのがせめてもの救いでしたね。

その後は自分の稽古を続けつつ、游心流の稽古に没頭してました。

 

そして1年が過ぎ、18歳の時に游心流武術健身法の師範代となり支部として『体道塾』を発足。

同時期に骨・筋・気の3つ(三元)流れを調整してカラダを整える『三元療術』を創始しました。

 

専門時代

会社員(整骨院のスタッフ)として働きながら柔道整復師の専門学校の夜間部に通い、毎月10万円貯金して半年毎に学費払って、また貯金しての繰り返しを3年間。

これはキツかったなあ…

何もできないんだもんね、3年の間。

お金の有り難みを知るコトができたとても良い経験でした。奨学金等借りていなかったから今負担になってないので最高です。

あの時頑張ってよかった。

周りの友人達は奨学金返済で結構大変みたいですもん。

 

事務所の設立

20歳の時に游心流武術健身法の師範となり、体道塾の活動拠点を置けたのも大きかった!

思い立ったら直ぐ行動がモットーの僕は直ぐさま物件探して『ココだ!決定!』と契約の話をし、親に保証人になってくれと頼み倒して(話しが急すぎてめっちゃ怒られた)無事に設立。

出張施術は辞めて活動拠点を置くコトで多くのクライアント様を診れたので、一番勉強になった時期でした。

 

そして稲吉優流先生率いる『MEVIUS JAPAN』の公認トレーナーとなり、現在も様々な役者・ダンサー・アイドルの施術を行っています。

色々活動してましたが勉強はわりかしやってたので無事に柔道整復師免許取得できました。

 

三元療術からHIMIZU

 

18歳の時に創始した『三元療術』で長い間施術してましたが22歳の11月に理論を大幅に変更・再構築。

RETRepulsion Energy Technique-HIMIZU(火水)』という名称に変わりました。

現在はこれを武器に様々な症状に対応しています。

 

どうぞ宜しくお願いします

長いくなりましたがプロフィールはこんな感じです。

読んで頂き有難うございました!

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